
小説とエッセイの書き方から学ぶ!現代アートプレゼンにも使える文章術
もともと小説家になりたかったけど現在はアーティストをやっている元獣医師のOuma(←人生を迷走してる感がハンパない)。
小説家にはなれてないけれど、文章を書くために勉強したことは、今でもちょっぴりだけ活きています。昔、一度読んだだけなので参考文献がなんだったかは忘れてしまったのですが、現代アーティストの作品プレゼンテーション、創作にも使えることを考慮した「書く」ことについて考えてみました^^
もともと小説家になりたかったけど現在はアーティストをやっている元獣医師のOuma(←人生を迷走してる感がハンパない)。
小説家にはなれてないけれど、文章を書くために勉強したことは、今でもちょっぴりだけ活きています。昔、一度読んだだけなので参考文献がなんだったかは忘れてしまったのですが、現代アーティストの作品プレゼンテーション、創作にも使えることを考慮した「書く」ことについて考えてみました^^
「現代アーティストとしての成功」ってなんだよ、という定義の問題はいったん忘れて、ここではふわっと「アーティストとして食べていってる」「作品を売ったお金で好きなだけ画材を買える」「制作のための時間を好きなだけ取れる」「世界各地で展示の機会がある」みたいな状態になるにはどうしたらいいか、を考えてみましょう。
あ、ちなみに2018年8月現在の私はぜんぜん成功していないですからね!一般的に見て成功したと言えるであろう、著名アーティストのコメントから考えたことのまとめです。
2018年8月現在、滞在中の韓国ウルサンでのアーティスト・イン・レジデンス。もうすぐ帰っちゃうアーティストさんの個展が始まりましたよ。彼女はフィンランドでマスターコースを学んで戻ってきたばかり。彼女の作品を紹介するとともに、現代アートを日常に活かす楽しみ方、自分を知るために使う方法をご紹介します^^
前回に引き続いての、作品自己批評術。まだまだ初心者段階ですが、意外と陥りやすい典型的ダメパターンを自覚し、ワンランク上を目指していきましょう!
現代アートをやる上で、哲学というのは本当に多くの示唆を与えてくれるのだなぁと感じています。今日も山口周さんの「武器になる哲学」より。未来予測について。
こんなに素晴らしい作品をつくっているのに、「あなたの作品を取り扱いたい」「紹介したい」「買いたい」そんな声がかからない。考えられる理由は2点。1)気づかれていない 2)作品がダメ。
1)の気づかれていない、に関しては、とにかく見てもらえるようにあらゆるところで発信・発表しつづけること。今日は典型的なダメ作品について考えてみました。
現代アーティストとして認められるために何が必要か。村上隆氏は芸術闘争論の中で「アーティストの評価は作品が99.999%」と言っている。そうは言っても村上氏は藝大の博士号までもってますよね。やっぱり学歴とかコネとかあるんじゃないの? 昔はそう思ってました。でも、実際に自分がここまでやってきて感じるのは、やはり作品がすべて、ということ。
作品がダメなのに評価される、ということは絶対にない。しかし、作品がいいけど、自作のプレゼンがダメで評価の網にかからないことはありうると思っています。今日はダメなプレゼンについて考えてみました。
今日も山口周さんの「武器になる哲学」より、日本に浸透している差別意識について考えていきます。差別、嫌な言葉ですねー。する側にまわりたくないなぁ。うん、でももしも自分が実はすでに差別する人だったら?自分はそのつもりがなくても、自分の周りの人がみーんな女性差別、人種差別する人たちだったら? そんな環境にいても、自分だけは「差別」しないでいられるものなんでしょうか。
イソップ童話の酸っぱいブドウの話はご存知でしょうか。美味しそうなブドウがあったけど、自分の手が届かない。「いーや、あんなのどうせ酸っぱくて美味しくないんだ」。手に入らないものを否定することで、自分の心を守ろうとする。フリードリッヒ・ニーチェの言葉を借りるとこちらは「ルサンチマン(弱者が感じる強者への嫉妬、怨恨、憎悪、劣等感などの感情)」と表現されます。
「武器になる哲学」の山口周さんの言葉を借りると「やっかみ」です。今日はルサンチマンについて考えてみました。