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好きは善ではないという話から仕事の本質は「社会の富を増やすこと」として考える

  • 5月 08 / 2019
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みじん講義

好きは善ではないという話から仕事の本質は「社会の富を増やすこと」として考える

人にはいろんな生き方があるのだけど、私の場合は「今叶えたい一番理想の状態を描き、それに向かって行動する」のが一番性格的にはあっていそうです。これは人それぞれいろいろだと思いますが、ここ最近よく聞く「好きなことで生きていく」ことについて考えてみました。

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Twitter復活した前澤さんがこんなツイートをしていました。

私もそうだなぁと思う、というか正確には「そういう社会だといいな」って願ってるくらいの感じなんですが、「好き」っていうのはイコール「善」ではないんですよね。分かりやすく言うと、人を殺すのが大好きっていう人も世の中にはいるはずで、「好きを仕事に」がすべてになると、そういう人たちは全員ゴルゴ13(プロの殺し屋です)になってね、ってことになる。なかなかの専門職ですよ、それは。
だからもうちょっと正確な日本語にするなら、この言葉の裏には「好き」を今、自分が暮らす社会(コミュニティ)に受け入れられやすい形の仕事にする、ということになる。好きを仕事にって言ってる人は、みんなここを理解した上で言ってるはず。
好きを仕事にするかどうかは本人の選択肢ですが、私は「好きを仕事に」派です。というのは、私自身が「みんなが好きを仕事にしている社会」に暮らしたいからですね。好きを仕事にしている人が多ければ、自分もそういう風に生きやすい。周りが大丈夫って言ってくれる中で暮らしたい。
ところで私は現在のように仕事としてアーティストをやる前にもいろんな仕事をしました。獣医がメインの一つですが、ライターやME(マークアップエンジニア)など。バイトもいろいろ。一番おもしろかったのはオーストラリアでやったマラソンの応援バイト(8時間沿道で応援しつづける)。どれも大嫌いな仕事をイヤイヤやっていたわけではなく、それぞれ好きなところはあったんですが、自分自身の性格適性みたいなものはあるんだなぁっていうのは実感としてあります。その職業に向いている人には敵わないんですよね。つまりそれが「好き」ってこと。

↑ すごくかわいい画像をつくってくれた方が!ありがとうございます!

ただ、「好き」だけでは継続するのが難しい場合もあって、継続を左右するのが自分の「適正」なんですよね。
私は医療や獣医業はすごく好きだったし、今でも外科助手とかやりたいわぁってすごく思いますが(手術が好き)、生命を扱う仕事はメンタルの強さがけっこう必要なんですね。私はメンタル部分が割と弱かったので、常にプレッシャーを抱える状況がずっとやり続けるにはきつかった。医療や病院が好きなのは間違いないので、今でも医療系の記事を読むのは大好きなんですが、臨床医という適性はちょっと足りてなかったかもしれない。あともう一つ、仕事として継続するのに必要なのことがあって、それは「環境」。前述の「人を殺すのが好き」っていう人は、フランス革命時代だったら、死刑執行人をやれたはず。あるいは江戸時代の死刑執行人、山田浅右衛門。でも現代にはそういう環境ほぼないですよね。少なくともなかなか見つけにくいはず。現代に転換するならホラー映画の監督とか、犯人役とかは合ってるかもしれないですね。以前、「国境なき医師団」に参加したお医者さんの本を読んだことがあります。興味深かったのは「崇高な理念」みたいなので医師団に参加する人は意外とリタイヤしやすく、旅好きとか変わった体験が好きとか、企業就職とかが苦手なタイプの人の方が長続きするという話。トイレの壁が虫びっしり、みたいなことが普通にある環境なので、そういうのを楽しめる性格でないともたないみたいなんですよね。そういう「リアル」はけっこうおもしろいなと思うし、話を聞くのも好きです。。
好きを仕事に、を方程式にしてまとめるとこんな感じかなと。

「好き」×「自分の適性」×「環境」=好きを仕事にできる社会

自分の好き、興味を自分の適性(性格)と照らし合わせ、社会に受け入れられやすい形の仕事として継続する。そういう人たちが周りに増えることで、好きを仕事にできる社会にできるんじゃないかなと。ちなみに「好き」がはっきりしない場合、あるいは生活に不安がある場合には、「好き」よりも「適性」を選んだ方が仕事としてはうまくいきやすいです。適性は自分が努力なくできるのに、人からお金をもらえたり褒められたりすること。それが「好き」なことだといいですが、そうじゃなかったとしても、苦もなくできることなので、大変ではないはず。適性がすごく自分の負担になることでなければ、適性から仕事を選びつつ、好きを育てていくのはいいかもしれませんね。

「好き」は富

私が「好き」を仕事に、と考える理由は「好き」が資産であると考えるからです。資産っていうのは、自分のというより「社会全体」にとっての。自分が好んでやっていることって、誰かにとっては全然やりたくないことだったりするんですよ。それをやれるっていうこと自体がこの世界が持っている「富」なんです。
たとえば私はこうしてブログ記事を書くのが好きですが、常に記事にすることを考えているので、写真を取る時に記事映えするアングルや分かりやすさなどをいつも考えています。観光写真としては絶対に撮らないであろうバスの時刻表とかしっかり撮影しますしね笑。「向かいにもバス停があることを書いておかないと来る人が間違いそうだなー」とか、町歩きしながらずっと考えてるんですよ、ちょっとした病気です。こういうの、せっかく旅に来てるのに仕事みたいでイヤ!っていう人もいると思うんですね。そもそも海外に一人で行きたくないって人もいるだろうし。でも私は世界で出会ったおもしろいことを紹介したい気持ちが強いので、知ってる人と一緒に旅するよりは、一人で旅して出会う人と話し込むほうが好きなんです。(根ほり葉ほりいろんなことを聞くので、その土地で出会った人が「お前は記者なんか!」って言ってくることがよくあります笑)そうして記事を読んだ人がたとえばエストニアを好きになってくれたり、日常生活の中で「エストニア」って言葉に触れて「おっ!」って思ったりしてくれるようになったらすごく嬉しいのです^^
ちょっと話がそれちゃいましたが、「好き」は使うことで「富になる」と言いたい。貯めているお金と同じく、貯めている「好き」って富にならないんですよね。死んでるんです、それ。だから、富として役立てていけてるか、ということ。好きは使えば育ちます。富が増えるんですよ。社会の富が増える。それはきっと、時間がかかったとしても自分に戻ってくるはず。

このブログも見ての通り広告リンクを入れてるんですが、ブログ記事がすごく収益になってるかって言ったら、今はなってないです(具体的には3か月に1回1万円もらえるくらいです)。記事によって現地の人の役に立ってるかと言えば、それも全然まだまだ。でもね、アクセス解析を見ていると、ものすごくマイナーすぎるロシア・クロンシュタットの行き方とか町歩きの記事が、ごくまれにすごくアクセス上がってたりするんです。自分も現地にいた時に調べましたが、マイナーすぎる場所は日本語の情報ってほとんどないんですね。あっても個人のささやかな感想くらい(ふつうはそうなる)。だから、そういう記事のアクセスが上がってると、自分はすごく嬉しくなるんです。誰かが行こうと思って調べたのかなって思えるから。そういうわずかな人たちのことを想像して、世界中で10人くらいしか必要としてないかもな、みたいな記事でも、ネット上に残しておきたいんです。5年で10人しか見なかったとしても、その10人の人の手助けになってたらすごく嬉しい。記事がきっかけでその土地まで足を運ぶ人がいてくれたらほんとに嬉しい。そうじゃなくても、知ってくれる人がいるだけで嬉しい。

たとえばブログを収益化させるのであれば、検索することが多そうな記事をなるべく多く残したほうがいいんです。実際、みじんこブログもアクセス上位1、2位はしいたい.占いです。それでも、そういうアクセスが上がると予測できる記事よりも時間と手間をかけて海外の記事やアート系の記事を書くのは、私自身が「知る」が「好き」の始まりだと信じていて、世界に「知る」を増やしたいという思いがあるから。アート関連の記事を書くのは、アートをもって世界で活躍したい人の助けになればいいと願っているからです。
「仕事」の本質ってなんなんだろうって考えた時、それは「社会の富(幸福)」を増やすことだと私は思うんですよね。稼ぐってもともとは誰かの問題解決。でも、基本的な衣食住がそろってきて、問題解決よりも幸福の増大に変わってきてるんじゃないかなと。マイナスをゼロかプラスよりも、プラスを最高に、みたいな。
私は海外転々しまっくってますが、日本で家賃払って生活するよりよっぽどお金かかってないですからね。そう考えると、私の一番大きな支出は交通費と電化製品、それと画材です。広いアトリエとWifiとパソコンとカメラと、コーヒーと美しい音楽と漫画と本とみじんこがあれば私は割と幸せです。それはありがたいことに、支えてくれる人たちのおかげで、けっこう叶っているので、社会の富(幸福)を増やすという視点で、生きてみようかなと思った今日このごろでした。


みじんこは、みじんこで生きていきます!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「みじんこだよっ。」
「みじんこだよー」

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